HP東善寺 小栗道子夫人会津逃避行              仁義併存碑 ~会津逃避行護衛隊員の芳名碑~  


 

 
  小栗道子夫人会津逃避行を護衛した村人と関係者 
 仁義併存碑
じんぎへいそんひ

 
     東善寺境内
    小栗主従供養墓への上り口右に
   昭和31年5月6日建立。
    建主は誉田(中島)三左衛門の孫三十郎氏の妻誉田タイ氏

 

      【碑 題右から横書き

 存併義
昭和三十一年四月  蜷川  新 印
              

【芳 名】
 
右からタテ書き
  *…村上泰賢注

誉田三左衛門*中島→誉田姓館林で首級奪取
佐藤銀十郎 *
喜多方で戦死
塚越富五郎 *
喜多方で傳死
塚越房五郎 *房吉館林で首級奪取
中澤兼五郎 *陣田出身
萩原桂輔  *長井出身
塚越源忠  *押平・石屋も
池田傳三郎 *傳・彰信→箱館戦争
誉田さい子 *17歳
池田民吉  *紙屋
佐藤竜作  *小高出身
中澤藤太郎 *陣田出身
池田三津五郎*本村上宿出身
山田増吉  *小高出身
佐藤彦太郎 *小高出身
小池定吉  *花輪出身
佐藤亀吉  *小高・虎吉・寅吉
丸山虎吉  *本村下宿出身
佐藤福松  *水有出身
塚越友四五郎*上久保出身
前村卯之松 *卯之吉
池田長左衛門*名主・池田屋
佐藤勘兵衛 *名主・藤七
牧野文之助 *長井・鹿野文次郎
大井虎吉  *亀沢・彦八・寅吉
池田九兵衛 *本村下宿組頭
池田幸八  *本村下宿・釜屋
牧野長兵衛 *長井・牧野酒造
塚越七弥  *塚越出身
池田一右エ門*塚越・市松
   順位不同

   【表 面】  右からタテ書き ルビは村上泰賢

慶応四戊辰ぼしん年閏うるう四月十日 小栗上野介父子ふし

主従
しゅじゅう東山道軍使員しいんの毒刃どくじんに斃たお

時に権田領民有志敢然かんぜん蹶起けっきし夫人母堂を

ようして重囲じゅういを脱出山河遥はるかに越後より

会津若松城に走り砲煙弾雨ほうえんだんう中に在りて

悪戦苦闘あくせんくとう佐藤銀十郎塚越富五郎を失いた

るも 終始一貫しゅうしいっかん好く護衛の大任を果たし

爲に小栗家の裔えいを存する事を得たり

次いで帰郷後直ただちに旧主の遺志を奉じて

苦心惨憺さんたん 遂に父子の首級を館林に得て

遺骸いがいを全まったからしめたる功績は啻
ただに郷党きょうとう

の誇たるのみならず 上毛人士一片いっぺんの義

ぎき凛然りんぜん以て千歳せんざいに伝うるに足る

此処に当時を回想し挺身ていしん
じんりょくせし人々の

芳名ほうめいを録ろくし後世に残すものなり

     昭和三十一年五月六日

  武州浦和住 月城浪士 大坪元治識

  東善寺第二十世現董げんとう村上照賢書
    【裏 面】

此の碑の題字は上州公夫人の愛甥
あいせいなる
法学博士蜷川新にながわあらた先生の揮毫きごうにして誉田
三左衛門孫故三十郎氏未亡人タイ氏の
特志により之を建立す 小栗公顕彰会

  
小栗上野介の顕彰活動:会津脱出から現在までの顕彰活動
会津へ逃れた小栗夫人
会津脱出の「歴史の道」秋山郷への山旅(画像)
「小栗上野介と会津」を読んで
(寄稿)