HP東善寺 小栗道子夫人会津逃避行 ●● 仁義併存碑 ~会津逃避行護衛隊員の芳名碑~ |
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小栗道子夫人会津逃避行を護衛した村人と関係者 | |
仁義併存碑 じんぎへいそんひ ![]() |
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東善寺境内 小栗主従供養墓への上り口右に 昭和31年5月6日建立。 建主は誉田(中島)三左衛門の孫三十郎氏の妻誉田タイ氏 |
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【碑 題】右から横書き 存併義仁 |
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【芳 名】 右からタテ書き *…村上泰賢注 誉田三左衛門*中島→誉田姓◆館林で首級奪取 |
【表 面】 右からタテ書き ルビは村上泰賢 慶応四戊辰ぼしん年閏うるう四月十日 小栗上野介父子ふし 主従しゅじゅう東山道軍使員しいんの毒刃どくじんに斃たおる 時に権田領民有志敢然かんぜん蹶起けっきし夫人母堂を 擁ようして重囲じゅういを脱出山河遥はるかに越後より 会津若松城に走り砲煙弾雨ほうえんだんう中に在りて 悪戦苦闘あくせんくとう佐藤銀十郎塚越富五郎を失いた るも 終始一貫しゅうしいっかん好く護衛の大任を果たし 爲に小栗家の裔えいを存する事を得たり 次いで帰郷後直ただちに旧主の遺志を奉じて 苦心惨憺さんたん 遂に父子の首級を館林に得て 遺骸いがいを全まったからしめたる功績は啻ただに郷党きょうとう の誇たるのみならず 上毛人士一片いっぺんの義 気ぎき凛然りんぜん以て千歳せんざいに伝うるに足る 此処に当時を回想し挺身ていしん藎力じんりょくせし人々の 芳名ほうめいを録ろくし後世に残すものなり 昭和三十一年五月六日 武州浦和住 月城浪士 大坪元治識 東善寺第二十世現董げんとう村上照賢書 |
【裏 面】 此の碑の題字は上州公夫人の愛甥あいせいなる 法学博士蜷川新にながわあらた先生の揮毫きごうにして誉田 三左衛門孫故三十郎氏未亡人タイ氏の 特志により之を建立す 小栗公顕彰会 |
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■小栗上野介の顕彰活動:会津脱出から現在までの顕彰活動 ■会津へ逃れた小栗夫人 ■会津脱出の「歴史の道」秋山郷への山旅(画像) ■「小栗上野介と会津」を読んで(寄稿) |
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