最新情報 ●● 2001(平成13)年 |
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2000(平成12)年
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最新情報●●2001年12月 |
●小栗上野介のレリーフを複製します。 製作資金の募金にご協力ください。 詳しくはこちらのページをご覧ください。 群馬会館の落成を祝って、昭和5年に贈られた小栗上野介のレリーフがあります。この像を複製して東善寺に展示し、小栗上野介の歴史をたずねておいでになる方に見ていただきたく、県の許可を得て複製することになりました。皆様からの募金で製作したく、ご協力をお願いいたします。 □1口 3000円 □募金受付 東善寺 郵便振替「00120−1−406206 東善寺」 こちらへメールを下されば、振替用紙をお送りします。 □複製完成披露 2002年5月26日(日) 「小栗まつり」で完成披露の予定です。 |
●小栗上野介展(パネル) 12月20日(木)〜26日(水) NHK前橋放送局1階「たまご広場」 内容は下記と同じものです。 |
●小栗上野介企画展示 12月13日(木)〜19日(水) 群馬県庁一階県民ホール 主催:倉渕村・小栗上野介顕彰会 |
小栗上野介の業績と生涯をパネルで展示しました。倉渕村製作の新しいパネルや、豊富な資料により小栗上野介の生涯と業績、その後の顕彰の歴史、関連の顕彰事業や出版物などがたくさん展示されました。 ■画像はこちら |
●住職の講演会 12月5日(火)午後3時〜 四万温泉「日向見荘」 で講演しました。 |
群馬県JA年金友の会の役員と、事務局合同会議研修会での講演です。県内各地の役員さんで、関心が高く、質問もいろいろ出ました。 |
最新情報●●2001年11月 |
●住職が、GMG(群馬マンドリン楽団)定期演奏会で朗読しました。 |
11月 18日(日) 午後 6時 前橋市市民文化会館大ホール *マンドリンオーケストラのための詩的組曲「RO・KU・YA」 田山花袋原作 「田舎教師」 館林出身の作家、田山花袋の小説「田舎教師」から抜粋し、その小説の世界を,マンドリン音楽と朗読で紹介しました。 主なプログラムは 第1部 マンドリンオーケストラ ハンガリーの旅 序曲イ短調 序曲レナータ 第2部 朗読と音楽でつづるその世界 マンドリンオーケストラのために詩的組曲「RO・KU・YA」 朗読 村上泰賢 ナレーター 降旗ふさ江 作曲 伊藤福雄 企画 両角文則 第三部 GMGポピュラーアルバム 楽しい音楽がいっぱいでした。 ゲスト演奏としてピアニストの澤田まゆみさんが出演して、ピアノとマンドリンの共演 があり、すばらしい音の世界で展開されたリチャードクレイダーマンの「秋のささやき」 が、大ホールいっぱいにひろがりました。 *個人的なことですが・・・リチャードクレイダーマンの曲が日本に入り始めたのは1979年ごろでして、テープに入れていつも聴きながらインドヒマラヤへ行く準備をしていたことを思い出しました。帰国後に作ったシャルミリ(6096m)初登頂の8ミリ映画や、スライドのナレーションのバックにも、この曲を入れてあります。 □詳しくは群馬マンドリン楽団のページをご覧ください。 |
●住職の講演会 11月17日(土)午後4時〜 群馬メディカルセンター で講演しました |
主催:主催:群馬県医師会 総会 さすがにお医者さんの会で、真剣に聴いて、本も買ってくださいました。あとの懇親会にもご招待いただいたのですが、マンドリンのリハーサルがあったので失礼しました。代わりに「東郷ビール」をお土産に差し上げて、喜んでもらえました。 |
●横須賀市で「ヴェルニー・小栗祭」 |
11月11日(日) 午前10時から横須賀市・ヴェルニー公園で行われました。 倉渕村からは、議長や役場関係者のほか、住職、小栗研究会委員、県外の東善寺たつなみ会会員などが参列しました。今年はフランス大使やブレスト市長も参列し米軍基地司令官も含めて、一段と国際色豊かな式典でした。画像はここから 東善寺たつなみ会「横須賀集会」 たつなみ会京浜地区の方に集まっていただいて、防衛大学走水荘で横須賀集会を行いました。海軍工廠のOB「見友会」の皆さんも加わり、さらに地元の開国史研究会長山本詔一さんほか会員も多数おいでになって、にぎやかな楽しい会でした。 |
●名主の地球一周の記録『渡海日記』 を刊行しました。 上毛新聞社・村上泰賢編著 書名 「小栗忠順従者の記録ー名主佐藤藤七の世界一周ー」 |
価格2000円+税で2100円 直接発送も致します。代金は同封する振替用紙でご送金ください。 画像はこちら 第一部 遣米使節小栗上野介の従者として渡米し、地球を一周して帰国した権田村の名主佐藤藤七の日記『渡海日記』を、活字で読めるように公刊。精密に描かれたさまざまな風物の挿絵が楽しませてくれる。 第二部 渡米前と渡米中のメモ帳『諸用留・しょようとどめ』を、やはり活字で読める形で公刊。小栗が使節として万延元年(1860)に出発するについて、その前年の安政6年10月に横浜へ出かけ、アメリカ人船長ブルック大尉から事前学習するのに同行し、聞き取ったアメリカへの航路や日程、持参品などの一問一答から始まって、アメリカについての事前勉強「米利堅志」の写し、船中での英語単語帳、旅の途中の断片的なメモが貴重な史料となっています。筆の崩し字の解読に苦労して5年かかりました。 第三部 小栗忠順のアメリカ 帰国後の小栗上野介の日本近代化への活躍と残された業績は目覚しいものがあるが、その活動の基となったのはやはりアメリカでの見聞にあったことを、原資料を使ってまとめました。 口絵写真:佐藤藤七・佐藤の墓・アメリカの新聞記事など |
●小栗上野介の県内史跡見学会がありました 主催:小栗上野介研究会 |
期 日 平成13年11月4日(日) コース 高崎駅〜バス〜倉賀野河岸跡(高崎市)〜小栗又一の墓(高崎市下斎田)〜都丸邸(小栗屋敷・前橋市総社町)〜大ソテツ(群馬町・大山氏宅)〜小栗日記(渋川市・後藤氏宅)〜高崎駅解散 *倉渕村以外の小栗上野介関連史跡めぐりでした。 |
●住職が、国民文化祭「マンドリンフェスティバル」で朗読しました |
11月 4日(日) 午後 大泉町吉田・大泉文化村大ホール *マンドリンオーケストラのための 「風とふるさと」 前橋出身の詩人で、わが国の文壇・詩壇の最長老格の伊藤信吉氏の詩から抜粋し、彼の生涯と作品を,マンドリン音楽と朗読で紹介しました。 秋田、岩手、栃木、京都、岐阜、埼玉、東京、茨城、三重など全国から集まった、たくさんの楽団による、マンドリン演奏が行われました。午前10時から1部、2部、3部とあり、朗読は午後4時過ぎの出場団体最後の「トリ」という場面で、責任重大だそうで、マンドリンの人は緊張していました。(私はマンドリンではないので、無責任) 楽団は前橋、高崎、など県内各地の楽団が合同して「群馬県マンドリンオーケストラ」という名称をつけての出場でした。 □詳しくは群馬マンドリン楽団のページをご覧ください。 |
最新情報●●2001年10月 |
● 上毛新聞「小栗上野介シンポジウム特集」記事 |
23日付上毛新聞で、先月末の「小栗上野介シンポジウム」が両面見開きの特集記事で紹介されました。神奈川新聞では25日に同じく特集される予定です。 |
● マザーマシンの据え付け始まる |
横須賀造船所で一番大きいスチームハンマーで「マザーマシン」の別名を持つ3トンハンマーが、使われなくなって横須賀市に移管されていました。市ではこれを、フランス式庭園に改装した「ヴェルニー公園」にフランス式建物を作ってその中に、近代化遺産として展示保存することに決め、10日に据え付けが行われました。 建物は体験学習施設「ヴェルニー記念館」と名づけられ、ヴェルニーの業績や建設当時の歴史をしのべる展示施設として、来年6月完成の予定です。 |
●「社会保険」誌に作家佐藤雅美氏の小説「覚悟の人」連載中 |
平成7年7月に東善寺で開かれた第1回小栗上野介シンポジウムに参加された直木賞作家佐藤雅美さんが、小栗上野介を主人公とした小説「覚悟の人」を、全国社会保険協会連合会の機関誌・月間「社会保険」誌に4月号から、連載しています。全部で40回の連載予定ということで、長編作品となりそうです。 (情報提供:橋場之博さん) 「社会保険」誌の購読を希望される方は、次のアドレスでHPをご覧ください。4月号からのバックナンバーも送ってもらえます。 http://www.zensharen.or.jp/zsr_home/koho.htm |
●NHK−FM(群馬土曜サロン)で放送 |
10月13日(土)午後2時〜4時に、9月29日の県主催「小栗上野介シンポジウム」をNHK−FM群馬土曜サロンで放送しました。 はじめに村上泰賢朗読群馬マンドリン楽団演奏「維新無情」を全曲、つぎに童門冬二先生の講演「地方自治と小栗上野介」、鼎談:作家童門冬二氏沢田秀男横須賀市長・小寺弘之群馬県知事・司会小田桐睦雄上毛新聞編集主幹、を放送しました。 |
●グラフぐんま10月号 小栗上野介特集 |
上毛新聞社発行「グラフぐんま」10月号に小栗上野介特集があります。先日の県主催「小栗上野介シンポジウム」もさっそく掲載され、また「日本の近代化に貢献 江戸幕府を支えた明治の父」としてその業績を紹介、村や寺での顕彰活動も紹介されて、読みやすい記事となっています。 |
●住職の講演会 10月16日(火)午後3時〜 伊香保温泉「ホテル木暮」 で講演しました |
主催:群馬県畜産協会 ふだん休日を取れない酪農家の方々を、ときどき代行して支援する「畜産ヘルパー」部の会合でした。若い方から年配の方まで、熱心に聞いてくださいました。行き返りの榛名山は紅葉がきれいで、すばらしいドライブとなりました。 |
最新情報●●2001年9月 |
●季刊郷土雑誌『上州風』8号で 特集「小栗さまのいる村」 |
小栗上野介主従が斬首された水沼河原に立つ顕彰慰霊碑の建立にまつわる逸話や、小栗さまと呼ぶ村人や子供たちの思いを豊富な資料ときれいな写真で特集しています。 あの顕彰慰霊碑に関してこれほどまとまって記録されたものはないので、貴重な記事といえます。 玄孫の小栗かずまたさん(アニメ・花さか天使てんてん君の作者)も村のあちこちを歩く姿で取材され、またてんてん君の挿絵も登場して、紙面を飾っています。 上毛新聞社発行:840円 |
●パンフレット「小栗上野介」できました |
倉渕村が作成したパンフレット「小栗上野介」ができました。縦長4ツ折り、カラーで豊富な資料も入り、見やすい内容のパンフレットでわかりやすい村の地図も入り、これから訪れる方にも喜ばれることでしょう。 HP「ようこそ倉渕村へ」の次のページでご覧になれます。 http://www6.wind.ne.jp/KURABUCHI/oguripf/oguripf.html |
●童門冬二作『小説小栗上野介』完結 |
昨年10月から始まった上毛新聞・神奈川新聞連載の『小説小栗上野介』が30日で完結しました。小栗上野介の業績と高潔な生き方と、「小栗上野介」の名を毎日伝えてくださった童門先生に御礼申し上げます。1年間お疲れ様でした。また挿絵を担当して楽しませてくださった、伊野さんにも御礼申し上げます。 小説は、このあと単行本として、集英社から発行されるとの予定です。 |
●群馬県山岳連盟の2002年カレンダー「群馬の山」 完成、発売しました。 すべてモノクロの写真で落ち着いた雰囲気が出る、と毎年評判がよいカレンダーです。 いささか私的なニュースですが・・・ カレンダーの2月は私の撮影した、「尾瀬に入る」が採用されました。今年2月の高体連登山部の冬山指導者講習会の時のスナップです。 カレンダーをご希望の方は、お早めにお申し込み下されば、お送りします。 1200円+送料 |
■謹んでお悔やみ申し上げます■ 雨さん・横手由男画伯 が9月15日夜亡くなられました。 雨さん(渋川市)は、「さすらいの画家」として知られ、その絵は一抹の寂しさを含んだやさしさに満ち、全国に多くのファンを持っています。 作品は水上勉、黒岩重吾、吉村昭、津村節子、司馬遼太郎などの作家の挿絵や表紙にも使われていて、司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』文春文庫の表紙カバーもその一つです。 東善寺との縁は10数年前にたまたまおいでになって境内の石仏を描かれたことから始まり、1991平成3年9月、1992平成四年9月、1994平成六年9月、の三回「東善寺妙音展」として画展を開き多くの方に見ていただきました。庫裡のミニギャラリーで常設展示し、また境内や遊歩道に作品が石碑になって建てられています。長井宿のそば屋「りく」さんの襖絵も手がけていて、川浦の奥の山の景観と野仏のやさしい絵がいきいきと描かれています。 多くの方に限りないやさしさを与えてくださった雨さんの画業に、御礼を申し上げ、謹んでご冥福をお祈りいたします。 |
●住職の講演会 9月4日(火)午後1時30分〜 と 9月6日(木)午後1時30分〜 いずれも笠懸町公民館で講演しました。 |
●小栗上野介シンポジウム が開かれました 第16回国民文化祭・群馬2001記念事業 9月29日(土)) 午後1時30分〜 群馬会館(前橋市・群馬県庁前) 無料 主催:群馬県 共催:倉渕村 後援:上毛新聞社・NHK前橋放送局 1、朗読とマンドリン演奏 両角文則指揮群馬マンドリン楽団・作曲伊藤福雄、脚本と朗読村上泰賢 小栗上野介追悼曲「維新無情」と「トミーポルカ」 2、講演 「地方分権と小栗上野介」 作家・童門冬二氏 3、鼎談 作家童門冬二氏・沢田秀男横須賀市長・小寺弘之群馬県知事 ほか 県内外からたくさんの聴衆がおいでになり、定員をはるかに越える申し込みで県庁企画課では、満員ですと予約をお断りするほどの人気でした。 いつも歯切れよく話してくださる童門先生の講演は、今回も聴衆を魅了しました。また鼎談も、肩のこらない楽しい雰囲気で3人の方がそれぞれに小栗上野介に寄せる思いを語り、会場は時々笑いに包まれ、終わって帰る方々の満足そうな顔が印象的でした。 上毛新聞10月23日号、神奈川新聞25日号に見開きで報道される予定です。 またNHK−FM10月13日午後2時から放送されます。 |
●小栗上野介史跡めぐり が開かれました 主催:倉渕村 9月30日(日)午前9時〜 倉渕村役場集合 マイクロバスで 水沼の顕彰慰霊碑・姉妹観音・観音山の屋敷跡などを回って午後は東善寺にお参りし、本堂で住職の解説「小栗上野介に学ぶ」を聞いていただきました。 参加者は50名ほど、その他に寺には朝から横須賀市のシンポジウム参加者の史跡めぐりがおいでになり、午後はほかの団体も二つ合流してたいへんな人出となりました。 |
●パンフレット「小栗上野介」ができました。 倉渕村でパンフレット「小栗上野介」を作りました。カラー印刷4ツ折で業績・年表・村内の史跡・県内の史跡・地図・アメリカでの見聞・などが簡潔にまとまって見られるものです。「東善寺たつなみ会」の会員にはまもなくお送りします。 |
最新情報●●2001年8月 |
●岳 真也著 小説「小栗忠順」 第2部 非命に死す 発刊 (8月20日)
1890円(税とも) 寺でも販売しています。
●作家・童門冬二さんの講演会 がありました。
8月11日(土) 午後1時30分〜 箕郷町文化会館
県生涯学習フェスティバル・「まなびの祭典2001」記念講演会
「先見と決断の人 小栗上野介」
最新情報●●2001年7月 |
●岳 真也著 小説「小栗忠順」 発刊 (7月25日) |
作家で西武文理大学客員教授の岳真也さんが、小説『小栗忠順・第1部 修羅に生きる』を作品社から発刊しました。小説『吉良の言い分』などの作品で知られる岳氏は、昨年来数回取材においでになって、このほど綿密な構成の小説を、書き下ろしで発表しました。
『小栗忠順・第2部 非命に死す』 は8月に刊行の予定です。 *寺にもありますので、ご希望の方に発送いたします。 1890円+送料 |
●プリント版「小栗上野介情報19号」発行。(7月20日) |
「小栗上野介情報」19号を発行しました。 主な内容:1面小栗まつり特集・2面国民文化祭自主企画参加「小説小栗上野介」の原画展・レリーフ展示・小栗夫人会津脱出路の図・築地ホテル・佐藤藤七の渡海日記発刊予定・荒川祐蔵の写真寄贈・小栗上野介シンポジウム 東善寺「たつなみ会」会員には近日お送りします。 |
●レリーフ「小栗上野介」像を展示 |
昭和5年に群馬会館落成を記念して、上毛新聞社篠原秀吉社長が「高山彦九郎」像とともに寄贈したレリーフが二階ホールの左右の壁にはめ込まれていましたが、昭和58年の赤城国体に際しての改修で外され保管されていました。このほど国民文化祭自主企画で東善寺が参加するについて、借り出して展示することになりました。11月まで展示いたします。 昨年の小栗まつりで講演した評論家赤塚行雄氏は「戦前、昭和の初めまではみんな小栗上野介を知っていた。昭和10年代に入ると軍国主義が台頭して、天皇制賛美が強まり明治政府以前の幕府政治の否定がそのまま小栗上野介の業績も抹殺する教育になり、それはいまでも続いているから小栗上野介の名を知らない大学教授すらいる・・・」と語っていました。 このレリーフは、まさにこの話を証明するものといえましょう。 レリーフはタテヨコ53センチの銅板で、菱形の中央に浮彫りされています。作者は森村酉三氏で、伊勢崎市出身。高崎の大観音像の原型を制作したことで知られています。 |
●講演会「小栗上野介」 講師・村上泰賢
7月26日午後 高崎市問屋町センター 高崎市立小中養護学校事務職員研修会で講演しました。
最新情報●●2001年5月 |
●小栗まつり にぎやかに行われました 5月27日(日) 画像をご希望の方はこちらから(門前の小僧豊原さん、と前原さん提供です) http://www6.wind.ne.jp/KURABUCHI/ogurimaturi2001/ogurimaturi2001.html http://www3.wind.ne.jp/qls/oguri/prepa/oguri_prepa.htm http://www3.wind.ne.jp/qls/oguri/event/oguri_event.htm http://www3.wind.ne.jp/qls/oguri/girl/oguri_girl.htm ・・・こちらはまつりのギャル特集でおススメ。 小栗まつりを5月27日(日)に行ないました。小栗公が殺された慶応四年閏四月六日は、西暦で5月27日でした。これまでその直前の日曜日にお祭をしてきましたが、今年はぴったり日曜日となりましたので、この日にお参りしていただきました。 天候は曇りがちながらまずまずの日よりで、朝から大勢の人がつめかけとくに童門先生の講演を目当てに来た方が多かったようで、本堂はぎっしり人が詰まって、床が抜けると心配するほどでした。 「橋の向こうの岩手ナンバーを移動してください。バスが通れません」という放送が入ったり、名古屋の方も別々に二人、関東地区からどっさり、合計800‐1000人くらいの人出でした。 午前10時から 墓前参拝・研究発表・群馬マンドリン楽団演奏・など 研究発表 「小栗上野介有罪説をただすー和暦と西暦の読み違い」 市川八十夫(倉渕村小栗上野介顕彰会理事) 某国立女子大学名誉教授が『勝海舟』(PHP出版)で、西暦と和暦を混同して小栗有罪説を展開している事を指摘し、歴史を語ろうとしたら現地を踏んで確かめて書く事が大切、と痛感させる発表でした。原史料の西暦1868年2月6日を単純に「明治元年2月6日」とありもしない日付(この年慶応4年は9月8日から明治元年になったから2月は存在しない)にし、さらに「小栗夫人が信州へ逃れた」と書くに至っては、歴史家と思えない粗雑な研究態度で、これが全国に流れている著名な本であるだけに罪は深い。 奉納演奏 群馬マンドリン楽団 小栗上野介追悼曲「維新無情」、「トミーポルカ」などのほか、ポピュラー曲や特別演奏「横須賀海軍工廠廠歌」を見友会(海軍工廠見習い工養成学校出身者の会)の皆さんが合唱、全国各地からの参加者が前の日から「はまゆう山荘」に泊まって練習した甲斐がありました。「拍手をいただいて感激し、仲間が声を詰まらせていました」とあとで聞きました。 午後1時から 講 演 「小栗上野介に学ぶ日本の心」作家・童門冬二先生 上毛新聞・神奈川新聞に「小説小栗上野介」を連載中の童門先生の執筆記念講演 「損とわかっていてもなすべき事はする生き方が武士」という言葉で小栗上野介の生涯を語って聴衆に感銘を与えました。「20‐30人の方に聴いていただくのかと思っていましたら、これほどの方がおいでになって、びっくりしました」と聴衆の熱気に驚かれ、時間をかなりオーバーして熱のこもった講演でした。 国民文化祭・自主企画参加 「小説小栗上野介」挿絵原画展・イラストレーター伊野孝行 「小説小栗上野介」に軽やかなタッチの挿絵を書いている伊野さんの原画展 今年6月から群馬県を会場として開催される国民文化祭に当寺も自主企画で参加します。この原画展もその一つとして11月まで展示します。 昼 市 境内にたくさんのお店が出ました。昨年、好評だった横須賀の海軍さんのカレーや信州小布施のリンゴに加えて、今年は茨城県龍ヶ崎市から「蕎麦道場龍ヶ崎塾」の石嶋さん親子がおいしいソバの店を出してくださって、大好評。お嬢さんがこの春卒業の筑波大学卒業論文で「小栗上野介」を書いたことが縁で、お父さんの趣味を生かしての出店でした。 そのほか毎年好評のインドのブティックや村の特産品あれこれ、空飛ぶ八百屋さんのべらぼうに安い野菜もたちまち売りきれました。今年参加のヤキソバも、おいしい、とたちまち売りきれ。寺から無料サービスのナメコ汁や甘酒もたちまち品切れでした。 アンパンマンやミッキーマウスも境内を歩いて、子供たちは大喜び。 ボランティアが大活躍 前日26日の午後からボランティアによるセッティングを行ないました。テント張り、境内掃除、看板つけなど、もう手馴れていてたちまち進みました。翌日も会場係、駐車場整理(交替で)、などのスタッフとして活躍。「毎年1回こうやって会えるのが楽しみですね」という会話が聞かれました。 天気がよかったので、後片付けも順調で、借りたテントの返却まで済ませてもらえて大助かりでした。昨年は雨が降ったので、張ったまま乾かし、翌日住職と家内が、宮成さん夫妻の手を借りて片付けました。 公的な援助なしにやっている「小栗まつり」なのでボランティアの力があって初めて成り立っています。毎年ほんとうにありがとうございます。 前 夜 祭 ボランティアや希望者によるたのしい前夜祭。 セッティングのあと村の温泉に入り、幕末や小栗公を語って権田の寺の夜がふけた。遠くからのボランティアはそのまま泊まって翌朝早くからの車の誘導に備えて就寝。 |
●上毛新聞「三山春秋」欄で「小栗まつり」紹介される 上毛新聞5月11日(金)「三山春秋」欄に小栗上野介が紹介され、「小栗 まつり」も間近になったことが書かれています。 |
●大宮に小栗上野介の墓?(東京新聞) 東京新聞5月10日(木)の都内版「史跡歩記」にさいたま市(もと大宮市)の普門院が紹介され、文中に「幕末に活躍した小栗家の菩提寺で本堂裏に上野介とその一族の墓がある・・」とあります。一部言葉が少ないところがあり、勘違いする読者もいるかもしれません。補足すると・・・普門院にある墓は「小栗家四代目忠政」だけ。あとは「分家の小栗仁衛門家一族の墓」。 では小栗家の五代目からはどこに葬られているか。五代目以後は中野区の保善寺に移っていますから、正式な小栗家の菩提寺は保善寺です。(ちなみにわが東善寺は小栗上野介が移住してきて殺されたから墓が出来たので「小栗上野介の菩提寺」といえますが、「小栗家の菩提寺」ではありません。) 普門院の小栗上野介の墓とは、昭和9年に作られた「小栗上野介の首塚」と称するものを指しますが、「小栗上野介の首を家臣が盗んで持ってきて埋めた」という話は根拠のない話で、それを信じる歴史家はいません。 *この件について東京新聞に連絡しましたところ、12日さっそく担当の須藤記者が東京からおいでになって取材して行かれました。熱心な城郭史のファンとのことで、忙しい中の休暇を使って現場をきちんと確認する姿勢に敬意を表します。 |
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