| 住職のコラム (東善寺HP) ●● 真の敗者は明治政府(軍)・・・BS11テレビ「偉人・敗北からの教訓」・2025令和7年12月21日放映 所感 |
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| 真の敗北者は明治政府(軍) BS11テレビ「偉人・敗北からの教訓」・2025令和7年12月21日放映 |
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| ◆この番組のサブタイトルに 「偶然の勝利はあれども、敗北は全て必然”敗北の裏に隠された原因や過ちとは?!」 ・・・とあるので、始めから小栗上野介を敗北者と決めつけている嫌な予感がしていた。 インタビューを受けた責任があるので、見たら案の定の展開。 |
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| ◆横須賀造船所建設・兵庫商社設立・軍制改革・さまざまな日本改造と提案、 幕末に小栗上野介が苦難・反対を乗り越えて行なった生前の業績をきちんと紹介したことは評価できるが、いずれ幕府の先はないと見通していた小栗上野介が、反対を押し切って 「いずれ土蔵付き売据の栄誉が残せるよ=売家に門・塀があれば価値がある。横須賀造船所という土蔵をつけてやればあとの家主がいいものを残してくれたと喜ぶよ」 ・・・と造船所建設を進めた言葉を紹介しなかったのは、大きなミス。 始めから「小栗上野介は敗北者」という番組の前提があったのだろう。 |
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![]() ▲ 3㌧ スチームハンマー 工具、部品を作る機械、を造る機械で基本の ハンマーだから、現場では「マザーマシン」という。 横須賀造船所は「日本のマザーマシン」、つまり 日本産業革命の地 だった。 |
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| ◆西軍=明治政府軍に理不尽な言いがかりをつけられ殺された小栗上野介が、生前に残した「土蔵」が日露戦争で役に立ちました、日本を救った真の勝者は小栗上野介でした。東郷平八郎の謝辞がそれを証明しています ・・・という展開にしないで、戦ってもいない小栗上野介が「殺されたから敗北」という単純な結論に、「教訓:体制や組織に囚われるな」とやらを無理にくっつけた番組でした。 歴史に「もし」はないというけれど、日本海々戦で敗けていたら、という思考は大事。たぶん日本海はロシアの海となって日本の大きな船はロシアの許可なく走れない海、日本はロシアの属国になっていたろう。もちろんその前にまず大陸にあがっていた陸軍は補給を絶たれて降伏、は当たり前のこと。 |
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| ◆勝海舟が「船を造っても、それを操作する人がいなければだめだ。イギリスは300年かかっている、日本が追いつくには500年かかる。造船所より人材教育が先だ」と反対したのは番組で紹介したが、 それでは慶応元年(1865)に着工した横須賀造船所がわずか40年後に→呉・舞鶴・佐世保海軍工廠を生み出し、明治38年(1905)にはバルチック艦隊を破るまでになっていた事実を見れば、真の勝者は誰か、勝海舟の反対は全くのハッタリだった・・・、とわかるはず。「殺されたから敗北」という単純な展開では釈然としない。 「自分もいずれ井伊大老のようになるかもしれないが、死んでも首と胴は一緒がいいよなあ~」と生前に語っていたほどの覚悟で、いま政権担当者としてやるべきことを実行し、後世に残すべきものを残していた小栗上野介を理不尽に殺したのが西軍。 |
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| ◆その西軍の明治政府は天皇を神樣に仕立てあげ、絶対逆らえない権力構造の中心に据えて昭和20年8月15日敗戦まで77年間、戦争続きの日本にして引っ張った。その「国の敗北」についてどう描いてなんと教訓するか、見てみたい。 |
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| 関連ページ ◆「勝てば官軍」は権力者のおごり ◆横須賀造船(製鉄)所の借款説〈小栗上野介の濡れ衣〉 ◆官軍意識との戦い ◆御殿様のお首級(くび)迎え・・・小栗上野介父子の週休を盗掘奪還した村人 |