| ◇旅館で見せると「アッ、これだ!」「あった、あった!」と大喜び。半信半疑(はんしんはんぎ)の驚きで掃部ヶ岳の頂上にあったと話すと、どうしてあそこまで飛んでいったのか、不思議だ、旅館のおばあちゃんも「お天狗(てんぐ)様が運んだのだろう」と喜んで、ひとしきり楽しい話題になりました。
 ……手紙の鯉のぼりの飾りものとは、この矢羽根のことでした。
 ◇この大島さんは、事情があって乳飲み子(ちのみご)を抱(かか)えているところを旅館に引き取られ、手伝いをしながら子育てをし、一年足らず過ごしたのち東京へ移っていった方だと、手紙を届けてくれた女将は説明してくれます。あの時、赤ちゃんは男の子だからお節句のお祝いをしてあげよう、と女将が鯉のぼりを手配して立てられたものだったそうです。矢羽根は女将が近所の方から借りてつけていたものなので、大島さんはよけいに心を痛めていたのでしょう。大島さんはその時の赤ちゃんがことし二十歳になったので、ぜひあの矢羽根を拾ってもらったお礼をしたくて、旅館を訪(たず)ねてきて託(たく)していったのだという。
 ◇私はたまたま矢羽根を拾っただけなのに、19年も忘れずにいたお母さんの気持ちがこもった、こんな思いがけないお布施をいただくのは初めてです。きっと旅館の皆さんが、お節句を温かく祝ってくれたことが忘れられず、その時の喜びをつらい時の心の支えにして子育てに励んでいたのでしょう。こういうお母さんの一所懸命な気持ちはきっと息子さんにも伝わっていることでしょう。私にも感激(かんげき)の連休となりました。
 
 それにしても不思議な天狗様の矢羽根です。
 ( 2009平成21年5月 )
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