東善寺・伝説 ●● ふろしき観音 |
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ふろしき観音 (伝説の石仏)東善寺境内 |
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【 ふろしき観音】 当地の大河(川)原家ゆかりの観音像です。 昔、戦乱の世にあって大川(河)原家は放浪の末に当地にたどり着き、安住の地を得て現在にいたっています。この石仏は元禄8年に大川原家の先祖が流浪の旅を続けた苦労をしのぶために、フロシキ包みを背負った姿にして等身大に彫ったもの、と言い伝えています。 【 三家の墓 伝説】 大川原・池田・牧野の三家は共に助けあってこの権田の地にたどりつき安住の地としたので、先祖が助け合った歴史をしのぶため、三家の墓地は離れていても互いに見通せる位置に設けたといわれます。 たしかに 大川原家の墓地は…権田字塚越地区の山の上(新規就農希望者の市営住宅南西裏手) 池田家の墓地は……権田字上権田の小さな山(マルコ山)の西麓(群馬バス権田車庫の東上) 牧野家の墓地は……権田字長井地区の山の上(牧野酒造の対岸) にあって、樹木がなければ互いに見通せる位置取りになっています。 |
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「天外道康禅定門」 石仏の左背後に大河(川)原家先祖の戒名「天外道康禅定門」が彫られ、「施主 大河原新□□、 同 □□□、 同□□□」と三名連記されていて、史実にもとずく伝説であることを物語っています。 ふろしき観音の場所は…境内西の小栗上野介主従の墓への石段を数段上がった右側、ちょうど小栗上野介の胸像の背後に当ります。 いつ建造されたか…この地に落ち着いてからこれだけの石仏を建造する余力を持つには、二代か三代の時間が必要であろう。そのあとになると会ったことがない先祖の苦労話もたんなる言い伝えになりやすいことを考えると、二代目か三代目の人物たちが集まって建造した、という推定になる。それにしてもいい石材を選んで少しも風化による減退が見られない/これだけの大きな石に立体像をきれいに彫りあげた石工の力量はすごい。 |
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