横須賀造船所・日本人の職人(HP東善寺)   日本人職人は優秀                                                                 


 
          日本人職人は優秀」    
                     エドアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』 長島要一訳・講談社学術文庫
 
 ◇若いデンマーク人海軍士官スエンソンはフランス海軍士官として1866慶応二年夏に来日、横須賀造船所を見学視察して次のような文章を残している

…ひょっとすると日本人の職人の方が西欧人より優秀かも知れなかった。日本のものよりはるかにすぐれている西欧の機械の使い方をすぐに覚え、機械類に関する知識も簡単に手に入れて、手順を教えてもその単なる真似事で満足せず、自力でどんどんその先の仕事をやってのける。日本人の職人がすでに何人も機械工場で立派な仕事をしていた。… 
 

・・・たまたま日本に現れた西洋の商人に政府(幕府)がだまされ、腐った船、役立たずの大炮をつかまされた日はもう過ぎ去った。政府(幕府)は今、軍艦を直接北アメリカ、イギリス、フランス、オランダの造船所に発注し、目下、現代の要求する条件をすべて満足させる軍艦を何隻も建造中である。もうすぐ、日本の造船所が自国の優れた建材、鉄や金属に富んだ資源を活用して海軍に軍艦資材を充分に供給できるようになれば、外国から軍艦を購入する必要はなくなるだろう。・・・
                       
          by
エドアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』
 
 ここで思い出すのは小栗上野介らの造船所建設提案に対して 勝海舟
「文久二
(1862)年八月二十日、閣老以下が列座する将軍様の前で軍艦は数年で造れるが、海軍を運用する人材育成に(イギリスの例では300年かかっている。日本では)500年かかるから、まずそれを先にすべきと申し上げた」 (意訳:『勝海舟全集』18より)と語った勝海舟の「海軍500年説」といわれる反対
 
 勝海舟は「軍艦を運用する人材育成が大事だ、そっちを先にすべき」と言って反対しているが、実際に横須賀造船所での造船作業を見たエドアルド・スエンソンは、船を建造する日本人職人がたちまち知識を応用して、その先の仕事までやってのけている、と書いている。そこから類推すれば船の運用にもそういった日本人の気質・能力が船の運用にも発揮されるはず。「500年かかる」という言葉は、「イギリスは300年かかっている」という根拠のない大げさな言葉でまず人を脅かして会話の主導権を握る勝海舟特有のハッタリ、虚説とわかる。
 *こういう根拠のないハッタリをよく使うのが、米国の権力を握った某大統領。勝海舟とよく似ている。

本当に勝海舟のいうとおりだったら、彼が「海軍500年説」を語ってからまだ200年も経過していないのだから、日本は令和年間でも大きな船の運用などおぼつかないままのはず。
 スエンソンの次の文章も読んでください。

 
 ・・・いうまでもないことだが、海軍の要員を集めるのは装備をそろえるよりはるかに難しい。けれども現代日本の海軍は、まだ短期間しか存在していないにもかかわらず、この方面でもすでに驚くべき進歩を遂げている。 ほとんどどの船も日本人海軍士官の指揮下にあり、砲手、檣楼員、技手、乗組員のすべてが日本人である。海軍を出世の道に選んだ若者は西欧の軍港に派遣され、そこで実習のみならず理論の方の教習も受ける。そして、若い海軍に完全なる軍事組織を与え、種々の軍艦上で一様な奉仕がなされるよう、政府は英国より海軍士官の顧問団を招いてその任務にあたらせ、日本人士官や船長たちから指揮権を奪うことなく日本海軍を欧米の規範にのっとって組織するという目的をすでに達している。         byエドアルド・スエンソン『江戸幕末滞在記』
 
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勝海舟「海軍500年説」
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